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2017.06.16
元気です、、、。

fullsizeoutput_c7前のブログ投稿が2月でしたから、もう何と4ヶ月ほど経ってしまいました、、。月に一度は更新したいな、と自分の中で勝手にノルマのように感じながらもそれを目標に(文章を書くって、どうも重い腰をあげる、、ってくらい、えい!とならないと出来ないタチで)続けてきてたのですが、このブランク。  えっと、元気にしておりました。いろいろありましたが、、。

たいがいは何でも過ぎてしまえば、そんなこともあった〜、って思えるものですね。今回も今となれば、そういう気持ちにもなりつつあります、はい。 またもや長〜い説明となってしまいそうですが、お付き合いいただけますようなら、どうぞよろしくお願いします。

さかのぼること、昨年の7月、アメリカからの一時帰国で日本に帰ってきて、再び夏のバークレー、シェパニーズのインターンを再開するために戻り、そこからポートランドに移ってアメリカので滞在を延長することにした、、何故か?は、以前のブログ(2016,12,22 私は何処へ、、)でも書いているので割愛させて頂きます。  7月にアメリカに入国した時には9月に日本に帰る飛行機のチケットも取っていたのですが、8月くらいから、これからどうしよう、、、と考えていた時にポートランドの語学学校に私の状況を説明し相談したら、秋のタームから受け入れられるということで、そのままバークレーからポートランドに移ることにして、帰国のエアーチケットもキャンセルしました。    最初に話しを聞いていた内容からは、食い違いはあったものの、学校のマネージャー(代表者)から、学生ビザを再びとるための申請をし直すと言うことで、必要項目すべて明記し、手数料をお支払いしたり、手続きは一通り終わりました。後は受理されるのを待つのみ、結果が出るのに大体3ヶ月〜半年はかかるからと言われ、そんなにかかるものなの〜?!と、びっくりしましたが、やるだけのことは出来ているのだから、辛抱強く待ってと言われ、待ってました、時々まだ返事は来てないの?とマネージャーに確認を入れながら。      そうこうしている内に3ヶ月も過ぎ、何度も尋ねても状況が変わってくる様子が見えなかったので、周りの日本人の友達も心配してくれていて、私の英語レベルでは学校側の説明をちゃんと把握するにも限界があるから、英語ベテランの日本人の友達に間に入ってもらって「ヒトミの状況を説明してほしい、受理番号を教えて」などと詰め寄ると、「申請をするときに2つの方法があって、オンラインで申し込みするのと、手紙の場合と。手紙での方法がサクセスフルだから僕はいつもそうしていている。その場合、番号で調べることは出来ないんだ」、、、と、この返事に更なる疑問がわいてきて、学校側の言っていることだけを鵜呑みにしていては怪しい、、、と、私の友達がいろんなところから調べていく中、分かってきたこと。   アメリカへの入国ESTA(ビザ免除システム)で来た場合、学生ビザに切り替えることは原則として出来ない、ということでした。、、、、

ガーーーーーン、もうショックすぎて、これが頭がフリーズするって言うのね。頭真っ白で、で、どうしたら?このまま、待っていたって、取れる訳がないのです。  ってことは、一刻でも早く日本に帰らねばっ!!!   学校側は、「申請しているのに、受け取る側がちゃんと受理していなかったんだ、ほんと信じられなくて怒ったんだよ!」と私に言って、「日本に戻って申請し直すのが、こっちに居ながらするよりも早くできるし、確実だと思うからオススメするよ」と、、、、 ”あなたが、辛抱強く待つしかないっていってたから、ずーーーっと待ってたんじゃないの〜〜っ(心の声)!”   もう、訳がわからないのですけれど、、、、。なぜ最初の時点で、私を受け入れることができると言ったのか?最終的に、なぜ?かは分からないまま(代表のマネージャーは若くて経験もほとんどなくて、口が達者で、、、、って何だか悪口みたい?、悪いところばかりでは、もちろん無いけれど、やっぱりいい加減なところが、、、)  ここで、すごいな〜と思ったのが、まず謝らないってこと。日本人だと、まず最初にこう言うことになって、申し訳御座いませんでした。って言葉があるのが多いと思うのです。ところが、そこはアメリカだからか?、まず自分に不利になろうであることは言わない、そんでもって、ビザの申請が受理されていなかった事実を私に伝える前に言った言葉、「ヒトミが毎回まだ結果出ないの?って質問するたびにストレスだったんだ、僕はいつも笑顔で答えていたけどさ〜」、、、最初にこの話からのスタートで、???えっ?私が悪かったの?と思わせるような、話術?  それにしても、この学校に任せたところで何も解決出来ないと言うことは歴然なので、友達が作成してくれたccメールでヒトミに対応することとして(メールで文章として残しておくことが大事と言うアドバイスのもと) 「ヒトミをこの学校の学生として受け入れようと申請していたが、うまく受理されていなかった、ヒトミに非はないと言う文章を紙面で渡す。」   この紙が、今後とても大切なものをなるので、これを頂くまではアメリカを出れない!と思って、これまた学校まで付き添ってくれた友達の協力もありゲット!    最終的に、うまく対応ができなくて申し訳なかったとマネージャーも謝って、ことが進んだから良かったものの、、、私一人の力では、どうすることも出来なかったし、友達のたくさんのサポートがあったから切り抜けられたので、感謝してもしきれないくらいの大感謝です!

いくら学校側の不手際といえど、その学校を選んでしまったのは、自分だし、、、学校の言うことを信じてしまったのは、自分だし、、、そのことで私の友達にまでたくさんの手間を取らせてしまった、、、、って思うと反省もいっぱいで、落ち込むこともいっぱいでした。  それに、自分でも分かっていなかっただけで、アメリカでの滞在がオーバーステイとなっている事実は、いくら学校側が!って言ったところで自己責任と言うことになってしまいます。  そのことを考えると、ほんと私って、、、、ぼーっとしてばかりで、バカバカバカ〜!って責めつつも、とにかくすぐにでも帰りのエアーチケットを用意せねば!とう言うことで、あっけなく戻って来ました日本に。

激動すぎた2月、、、日本に戻って来たものの、本当に中途半端に帰って来て、私の荷物はほとんどをポートランドの部屋に残したまま、ホストマザーにもビザを整えて帰って来ます、と言い残して。   ここからが、また大変でした。

 

写真は、ポートランドのお友達が自宅で緑茶のワークショップをするのにデザートで参加させて頂いた時に作った、杏と小豆のケーキ(この上にさらに生地をのせて焼き上げました)