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2017.06.16
元気です、、、パート2。

fullsizeoutput_c6前回の記事、元気です、、、。の続きです。ホントに長〜くて失礼いたします、、。

振り返ってみると(再び2016.12.22のブログ、私は何処へ、、自ら読み返して)ある方のお言葉から、もう少し頑張って英語を何とかしたい、、、と語学学校に行くためにポートランドに居ることを決めたものの、私の英語はのび太、、、いやいや伸びたのか?もうホント、お恥ずかしい話、、、せっかくアメリカに居るのに、ほ〜〜〜んとに英語喋ってなかったのです。イコール、じぇんじぇん英語力アップしてな〜い!   おかげさんで、以前のブログ(2017.02.13.やっとこさお菓子が作れたのは、、)で登場した、ポートランドでお味噌のスモールビジネスをしている友達ができたり、そのお友達繋がりで又もや日本人の奥さん、アメリカ人の旦那さん夫婦とお友達になったり。さらにまた別件の日本人奥さん、アメリカ人旦那さん(全て日本語で会話が成り立つという、素晴らしい?環境!?)この方々の多大なる協力のお陰で、私、日本に戻ってこれた訳ですから!!

アメリカで何してんだかっ!って思わなくない。英語の面では。大阪の昔からの友達には、「ほんまもったいないことしてるよな〜、何で喋らへんの?意外やわ〜、磯ちゃんやったら、もっと積極的に話すると思ってたのに〜」妹には、「お姉ちゃん、出川のイッテQ!のはじめてのおつかいYouTubeとかでいいから絶対観た方がいいで!」というエールが届いて観てみたり。  そんなこんなで、やっぱり英語は、ぺらぺ〜らに程遠いけれども、この度、自分の意思とは関係なく、状況として速攻日本に帰らないと!となったおかげで?アメリカこれで退散!は、やっぱりイヤだ!って思えて、ちゃんとした形で戻らないと、帰国の時にいろいろと協力してくれた方々のご好意にも失礼じゃないか〜。そんな気持ちと、オーバーステイしていたって、カタカナ明記だとやんわり?表現だけんども、不法滞在、、、言って見れば自分でも知らない間に、いくら学校の不手際で、、、といえど、私が、、、私が、、、そんなことに。その事実を知った時のショックと、信じたくない、、って気持ちと、、、。だから、やっぱりこのままでは終えられないのです!正式にビザを取ってもう一度、必ずやあの時の後ろめたい気持ちを越えて〜アメリカに戻るんだい!!と、心に決め、アメリカ領事館でビザを取得するための面接に向けて準備をする日々が始まりました。

そこで、まず何ビザにするか、学生ビザをとるのなら、こないだまで居るには居てたポートランドの語学学校がヒトミを受け入れますよという紙も書いてくれていました。でも、よくよく考えたら、これだけ語学学校で〜!なんて昨年言ってて、全然伸びてないのだから、向いてないのよ。いやいや学校に行ってもホントに意味ないし、もうこの年になって、テストが!出席が!って、好きなことなら良いけれど、無駄に奮い立たせていかなくて、全然いいよね、、、。それより、せっかく頂いた時間をお菓子のことで費やしたいな〜って思う。もう英語とか、置いてても良いくらいに(開き直りか?)。それならば、観光ビザを取るのが一番。ということで、インターネットでビザ申請のやり方を調べつつ、パソコンで面接日の決定までは、自力で進められました。(超アナログ人間な私が〜)

今って、なんでもインターネットで調べられるじゃないですか、もう今回、ビザを取得、スペース、オーバーステイをキーワードに面接を控えているので、調べまくることに、、。そんなことすると、恐ろしいですね、、、。どれだけ大変なことか、、、ということが分かってきました。通常オーバーステイをたった一日でもした場合(天候不良で飛行機が飛ばなかったからとかって理由であったとしても)次にアメリカに行くのはESTA(ビザ免除システム)は使えなくなるのだそう!厳しい!! 原則として、半年以上オーバーステイすると3年はアメリカに入国できなくなる、1年以上のオーバーステイだと10年入国できなくなる、と書いてある、、、原則なので例外はあるのですが。  そして、面接時に持っていく資料が大切!ということで、今までの私の経歴、なぜアメリカに滞在してて、なぜ再びアメリカに行きたいのか。 就職活動もしたことのない私が、ここにきて初めて学校出てからのお菓子人生を振り返るべく、大阪でのカンテグランテでアルバイトからお菓子を作りはじめ歩粉を恵比寿で9年営業し、レシピ本も2冊出版して〜などと、お菓子自分史を書いて、熱くアメリカと日本をお菓子で文化交流を深めて行きたい! などと締めくくり。できあがった文章は当然日本語なので、英語にしなければいけないという問題が、、。最初お願いしようとしていた英語堪能なお方に、ビザ申請の文章はとても大事な扱いのものとなるので、専門的な方にまず相談した方が良いと思います。という親切なアドバスの元、翻訳も受けられなくてごめんなさい、、、といった内容のお返事でした。それと同じ時期、もう一人の信頼している方からの助言で、今回のことは慎重に進めた方が良いから、弁護士さんか行政書士のビザを専門に扱っている詳しい方にお願いして、素人だけの判断で進めないで時間をかけてみては。と、私を気遣ってのお言葉。   そこで更にあぁ、、なんてえらいこっちゃになってしまったのだろう、、、ほんと私ばかだなぁ、、、追い詰められる心境。私は、法を犯してしまったのか? と。  実家で両親はただただ普通に昼時と、夕飯時に「ひとみ〜、ご飯よ〜!」 と声をかけてくれて平和にご飯を一緒に食べて。そんな両親に、本当に救われました。自慢できる話じゃないので、ほとんどの人に帰国のことは、伝えていなかったから、引きこもり生活にどっぷりはまっておりました。  ご飯以外の時間は、面接に向けてのシュミレーションという名のインターネットでまた色々と調べては、次から次へと出てくる情報に、気が滅入りながらも出来る限りのことを自分なりにやってました。  翻訳は、姉の旦那さんがチェコで単身赴任中なので、会社についている日本語、英語、チェコ語堪能なチェコ人の方が引き受けて下さることになり(まさか私のお菓子史がチェコ人に翻訳されることになるとは、、、)妹も画像をで資料を作って貰う時に力になってくれて、家族総出のサポート、、。

自力で作ってきた資料を専門の方に最終チェックして貰おうと相談すると、ネットで申請した面接やら全て一度キャンセルして、再度全てを専門家に任せるしか方法がないと言われて。ここまで自力で頑張ってきて、面接日もあと1週間近くと迫ってきている時に、かなり精神的にもきつくなっていたので、もう期限を伸ばすのはイヤだ〜。一か八かで、このまま進んでみようと心に決め、更にネットで色々と調べる日々、、、そしたら、一度面接で落ちてしまうと、さらにペナルティーがついて、次に申請し直す時のハードルが上がるとか、、、まず1回目の面接でクリアすることが大事!(弁護士さんのホームページとかに書いてる、そんなページ開くのも初めてのことだらけ)などなど、、、もう、輪をかけて自力じゃ無理ってこと?って情報を拾うわ、拾うわ。それにしても、いくら弁護士さんにお願いしたとしても、オッケーを出すのは当たった面接官が決めること、例え完璧に思える資料が揃ったとしても結局は面接官次第という、ある意味運だめし的な?ほんと知れば知るほど混乱してきます。     といえど、出来る限りの準備は必要。そして、面接時で嘘はばれます。ってことも散々ネットの情報で読んでいたので、細かくこう言われたら、こう答える!ってあれこれ考えて。

面接当日、大阪のアメリカ領事館へ。数日前に道に迷ったら不安だからって出向いて、警備の方にもここで並ぶんですね?と確認済みだったから、スムーズに所定位置に待機。以前東京に居た時に初めてポートランドでの学生ビザを取るときにアメリカ大使館に行った時には、やっぱりTokyo規模が違う!面接に呼ばれるのにも時間がかかったのですが、ここは大阪あっけなく心の準備もなく、すぐに声がかかりました。アメリカ人の男性が、「日本語と英語どちらにしますか?」と。もし、この質問がこなくて、英語での会話がスタートしたとしても「日本語でお願いします!」って絶対にお願いするってことは肝に命じていたので、最初から無理なく日本語での会話がスタートして、ちょっとだけほっとして。     私の説明が続いて、ちょっとしてから複雑さを感じたのか、日本人の通訳の方を呼んできて下さいました。面接官も、通訳の方も私の話にしっかりと耳を傾けて下さいました。質問はいくつかされたものの、好意的に受け取ってくれている感じがしました。そして、学校から受け取った紙を入念に読んで。パソコンに向かってカタカタカタと結構長い間文章を打ってます、、、私は息を潜めて、でも何も間違ったこと私はしていない!って気持ちで背筋を伸ばして、面接官の言葉を待っていました。「分かりました。パスポートは1週間から10日で届きますよ。グッドラック!」と。

アメリカ領事館を出て、数歩歩き出してから、母から借りてきていた携帯で実家に電話を一番に入れました。「お母さん!大丈夫だった、、」もう声が震えて、堰を切ったように涙が溢れ出てきて、緊張の糸が切れて、、、、「良かった〜、、本当に良かった〜あなたが家を出てからずっとお経を唱えていたのよ〜やっと安心したわ〜」と、母。最終的に口数少なくなっていた私を心配してくれていた母、、、。本当にいつもいつも心配かけてばかりの大きな(40半ば、、)娘です。

いくらビザをゲットしても、アメリカ入国審査の時に入国拒否されたら、そこでアウト〜なんて、いくらでも心配する情報はあるものの、手に入れました!これまた沢山の方々のサポートあって。そして今回、面接を受けている時も何か沢山の力に守られているような気がしました。

ふぅ〜〜〜、歩粉ちゃん奮闘記、つづく。

写真は、帰国中に大切な友達が5周年の記念のイベントをするということで、私はお菓子で参加させて頂きました。新作揃いの、よもぎのビスコッティー、生姜のショートブレッド、苺と白あんのケーキの3種盛り。歩粉っぽいプレートですね〜、へへ。