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2016.03.19
ハローハローフィリピン。

IMG_0126ハローこんにちはフィリピン。ハロハロとは、ミニストップで売ってるソフトクリームが乗っかったかき氷!と思っていた方、私だけじゃないですよね~。
ハロハロとはタガログ語(フィリピンの公用語)で、混ぜこぜという意味で、フィリピンでも、いろ~んなトッピングの乗っかったかき氷のことをハロハロと言います。
写真は、フィリピンでめっちゃ流行っているファーストフード店、マンイナサルのミニハロハロ。ホントに混ぜこぜ感すごい。そしてカラフル!紫色のアイスは、ウベと言って、紫イモから出来ています。これは天然の色素から、、、と思いたいのですが(真実は謎)、真っ赤、真緑色の豆とかも入っていたりします。手前、中央にチーズの様に見えなくもない長方形にスライスされたものは、プリンです。レチェフランと言います。お祝いごとの日などには必ずお家でも用意するらしい。(先生の家に遊びに行かせて貰った時も、レチェフラン用意しててくれました)スペイン領時代に普及したみたいで、フィリピンは、長い歴史で他国の支配下にあったから、スペイン、アメリカの影響をすごく受けていることを、こちらに来てわたしは初めて知った事実も多いです。(はい下調べ0で行きました)

なぜフィリピンで英語を勉強するのか?フィリピン人は、英語がほんとに上手なのです。なんで上手に多くのフィリピン人が英語を話せるのか?
それは、小学校からの教育が英語で行なっているから、、、。えっ?それって、小学校の授業が全て英語で進められているってことっ?!そうなんです!英語の授業が小学1年生からあるってことじゃないのですよ!算数も理科も先生は英語を使って教えているということ~!
もう、私、びっくり!そりゃ英語喋れるわ~!身についてるわ~!
日本の英語教育は、中学生になったら、週に何度か英語の授業があるくらいだし、英語で会話したりしなかったし、、(今の授業スタイルは知らないのですが)一応英語教育うけて育ったのに、アメリカに来て、本当に1からスタートのわたし。綺麗さっぱり英語を忘れています。
わたしのフィリピンでの先生は、ほとんど20歳~23歳でした。(わたしの英語レベルが低く過ぎてベテラン先生にあまり当たらなかった、、)大学を出たばかりのホヤホヤ先生。(どこの国でもそうだと思うのですが、年齢に関わらず、しっかり落ち着いた方もいるし、そうでない方も、、、)
フィリピンの教育システムに驚愕しました。日本も見習ったらどうかしら?って思う。そう簡単なことではないけれど、今の自分の苦戦ぐあいを考えると、ほ~んと幼い頃から身につけていれば~!って思うもの。
日本は、やっぱり呑気な空気があるのかもしれないな。フィリピンは、最近?までアメリカの支配下にあった訳だから、そういう教育方針も取入れなければならない危機感があったのかもしれないのだけれど。

そして、フィリピンの多くの方がクリスチャンです。それも歴史的影響大だと思われます。日曜は、家族で教会で時間を過すというのが多くの方が行なっていること。そして、家族がめちゃくちゃ多い。きょうだい6人とかは驚くことでもない感じ。18人きょうだいって聞いた時には、同じお母さんで?と聞き返してしまいました(野球チームが作れるどころか、試合まで出来るという!子供が多いというと、野球チーム計算してしまうという、、普段野球のこと気にすることも無いのに、、)親戚もだいたい近くに住んでいるし、家どおしの人の行き来が頻繁が日常。
日本も昔はこんな感じだったのかしら?年中温かい気候っていうのもあるのかな?
の~んびりした時間の流れをこのフィリピンの田舎町では感じられるものの、町の中心部分は、めっちゃガチャガチャしてる。そのギャップがすごい。

どこに行ってもデザートが気になるのは当然ですよね。
わたしがフィリピンで一番美味しいと思ったデザートは、トゥロンと言う名のバナナをライスペパーで巻いて揚げたもの。学校の昼ご飯時のおやつとしても出たことがあって、初めて食べたのはSMスーパーで売っているトゥロン、もうめちゃくちゃ美味しくってビックリ。すう~ごくシンプルなのですが、やっぱシンプルイズベスト。
このトゥロンが作ってみたくて、先生のおうちにお邪魔したのです。
その日は、トゥロン以外にわたしのリクエストに応えて、ボチと言う名のゴマ揚げ団子(よく中華街で売ってる)との2品作ることに。
学校以外で会うのは初めてだから、ドキドキのスーパーの前で待ち合わせ。30分以上待っても来ない、、、。フィリピン人、平均して時間にルーズです(やっぱ日本人って律儀よね~)連絡手段もないし、ヒヤヒヤしたけど、良かった会えて。

そして、まず買い物です。砂糖(ブラウンシュガー)サラダオイル、ジャガ芋(ほんとはさつま芋の予定だったけど売ってなかった)チーズ、米粉、白ごま、ライスペーパー、そして肝心のバナナ。バナナはフィリピンでは2タイプあって、トゥロンに使うのは通常日本で売っているバナナとは違う方の平べったくて、小振りの割に皮が厚めのバナナ。ちょっと固くて甘みも控えめ。これがトゥロンには向くのだそう。値段はちょっとお安目だから尚よろし。(フィリピン名産のバナナチップスも、このバナナを使っているらしい)

先生のおうちまでは、ジプニーというド派手な見た目の乗り合いバス&トライシクル(前回説明したバイクの横にサイドカーついた乗り物)。たどり着くまでの景色は、一面の田畑or トウモロコシ畑or 白い牛、、、本当にのどかな田舎道。
着いた早々から、作業開始。小さなガスボンベがついたコンロが一つ。まずは、ボチ用のジャガ芋を水から茹で始めます。(コンロ一つだから、段取りが大事!)

先生の住まいは、水道も流しも無かった。水は、井戸から酌んできたものが、ポリタンクに入れてあって、そこから使います。
流しは無いものの、作業する台のところから、家の外に向かってなだらかな下り傾斜になっていて、そこに水を流せば、自動的に外へ出るという。隙間のある家だからなせるワザの、外直結型流し?っていうのかな、、。初めて見るタイプのキッチンに驚きつつ、「私の家に呼ぶなんて恥ずかし~、、」って言いながらもお邪魔させてくれた21歳の(2歳半の息子ちゃんがいて、たまげました。聞いてなかったし、、こちらでは小さな子どもがいても働くお母さんが普通なの)先生に感謝。
食器棚もなくて、米が入っていたような大振りの袋から食器を出してきてくれてました。

バナナを厚み半分にスライスし、ブラウンシュガーをまぶし付け、ライスペパーでくるくるっと巻いて油で揚げていきます。
ボチは、茹でたジャガ芋をつぶして、ブラウンシュガー、すり下ろしたチーズ、米粉を混ぜて、団子状に成型したら白ごまを周りにつけ、これまた揚げていきまーす。
一緒に作るはずが、息子ちゃんがぐずり始めてしまったので、ほとんど私一人で作業して、出来上がりました~。(もくもくと作るのは得意だから、全く問題なし)
どちらも素朴~なおやつ、だけどほんっとに美味しかった。揚げ物って、揚げたてが最高ですもんね。

帰りは、先生のいとこの女の子がスクーターを持っているということで、スクターに3ケツ(尻)して学校まで送ってくれました。
足乗せるとこもないから、両足微妙に開いたままでのバイクの真ん中。「怖くない?大丈夫?」と気遣ってくれたけど、壮快~!いっぱい南国の風をあびて気持よかったー。
先生のおうち、ニワトリ、犬、ネコ、牛、ヤギ、裏に田畑、グリーンマンゴーの木。自己紹介の時にも明かしてくれなかったけど、元気な息子ちゃん、旦那さん(結婚していることすら聞いてなかったから、、旦那さん仕事で出掛けていらしたので今回お会い出来なかったけれど)がいて。
すぐ隣にお父さん、お母さんが住んでいて、親戚、お兄ちゃん家族も。
先生、子育てと仕事、とても忙しそうな中、今の語学学校の仕事は、労働時間が長い割りにお給料があまり良くないらしく、公立の学校の先生になるための準備をしていました、もちろん学校には内緒で。(私を送ってくれた帰り道インターネット出来るところで資料作りするって、大事そうにバインダー抱えてた)
そのシンプルな暮しっぷり、学校で顔を合わせているだけでは分らない、でもおうちにお邪魔させて貰ったことで、バックグラウンドを肌で感じて、先生にしたら当たり前の毎日だけど、私には想像もつかない世界だから、知れて嬉しかった。
年の割りに落ち着いてるな~とか、ちょっとした時に優しく気遣ってくれたり、時にすごーく割り切っている表情を感じることも私にはあって。先生のなかでも、控えめなタイプで、身体も小柄で声も小さくて、何故か私にとっては一番リラックスして話せる方だったから、その半日ほど一緒に過したことで謎がすこーしだけ溶けた気がした。

フィリピンの人たちだいたい皆、幸せ~って言います。向上心はもちろんありつつ、今の現状にも幸せ~と口に出せるって素晴らしい。
豊かさって何でしょうね?
そんなことを思わせてくれるフィリピンの人々、フィリピンの人の暮しぶりです。
英語の勉強というか、フィリピンの勉強、、?ま、それもいいよね!

歩粉ちゃん奮闘記 つづく